昨日付で夫と離婚しました。
離婚したので元夫ですが、書きにくいし読みにくいのでここでは夫と記載します。
長いようで短かった18年でした。
離婚の理由は、子供に対するしつけ・育児の考え方の相違、DV、モラハラ、虐待、職に就かない、親のお金で生活しているパラサイト…等様々です。
浪費家なのに節約しようという気持ちは皆無。
まめにポイントをためたり、節水・節電する私を
「そんなはした金の為に…」と馬鹿にしていました。
酒癖も悪く、タバコも吸うので吸わない自分にとってはそれも苦痛でした。
夫は一人っ子で、祖母と両親、叔母夫婦が一族にいます。
両親は横須賀、夫祖母は岡山(大型連休があると上京してきます。)、叔母夫婦は近くに住んでいます。
全員が資産家…つまりお金持ち一家です。
そのお金持ち一家の中でどっぷりと甘えさせられて我儘放題に育てられたのが夫です。
夫も高校時代までは真面目な普通の子だったようです。
ただ行く学校全て親に決められて、友達と遊ぶこともできず嫌々塾に通い、自分の人生を自分の意思で歩いていない孤独な青春時代だったようです。
そんな夫がキレたのは高3の時で、父親と殴り合いの大喧嘩の末、卒業間近だった高校を退学し家を出てしまいました。
一人暮らしの生活費はアルバイトと母親の援助でやりくりしていたようです。
そして数年後私と結婚したのを機に広めのマンションに引っ越して結婚生活がスタートします。
夫の両親も夫祖母も叔母さん夫婦もとても人当たりの良い方ばかりで、優しく接して頂きました。
嫁姑関係に怯えていた自分には、本当に嫁いで良かったと思える一家でした。
生活に必要な家具は一式揃えてもらい、子供が生まれてからは義母や叔母が週一で手伝いに来てくれたり食事を持ってきてくれたりしました。
実家に帰れる環境ではなかったので本当に有難かったです。
ただ、夫が育児を手伝ってくれることはありませんでした。
一人で赤ちゃんを抱えながら育児ノイローゼになり、何度も叔母さんに電話しては泣いて迷惑を掛けました。
「旦那さんが外で働いてきてるんだから、育児くらい一人でやりなさい。昔はそれが普通でしたよ。」
「核家族ばかりの都会ではそれが普通だからね。一人で育ててる人ばかりだよ。頑張らなきゃ駄目だよ。」それぞれ夫祖母と叔母さんに言われた言葉です。
世の中住む場所にも食べる物にもお金にも困ってる人もいて、その中に同じ育児ノイローゼの人もいるんだからその人達よりはマシ!
…と下にいる他人を認識することで何とか自分を奮い立たせている状態だったのが、この頃の自分です。
自分を醜い人間だと思いながらも、自分より酷い生活を送っている人をまとめサイト等でわざわざ探して、その記事を読む事で安心していました。
夫はというと、職に就くに当たり高校卒業の学歴は必要だと義母に促され、沖縄の高校を通信で受けて卒業しました。
学費は全て義母が出しました。
夫がおかしいと思い始めたのは子供が6か月を過ぎた頃で、勤めていた職場(カスタマー)を突然辞めてきてしまいました。
何で一言も相談してくれなかったのかと聞いたら、今後は必ず相談すると約束しました。
その後、夫は一度も相談してくれることはなく就く仕事は大半1年も持たず長くて3年、就いては辞め、就いては辞め…を10年以上繰り返していくことになります。
まず叔母さんからの提案で介護職の正社員を目指し、ニチイ学館に資格を取りに通いました。
その時に使ったお金は、結婚祝いで頂いたご祝儀全額です。
全部寄越せと言われた時、「もう絶対に仕事辞めないで。」と何度も懇願しました。
しかし、資格も取り介護の求人も多かったのですが、体力的にキツイのと思ったほど給料が良くないという理由で1か月で辞めてしまいました。
ご祝儀はドブに捨てたようなものでした。
夫は
「まぁ勉強代だと思うしかないな。」と笑っていましたが、式に来てくれたみんなの気持ちを踏みにじった事、今でも許してません。
夫は高収入を理由にパチンコ屋の夜勤にばかり就くようになりました。
当然生活の時間帯が合わず、日中起きている自分と度々喧嘩をするようになりました。
元々酒豪でしたが仕事のストレスは酒で発散するようになり、生活費が酒代で消えていっているようなものでした。
酔った夫は私の顔面を殴りました。
しかしこれがたちが悪い事に、本人には全く記憶がないのです。
翌日この事を話すと
「嘘だろ?いや絶対嘘だ!」という反応。
状況を説明して謝罪はさせましたが
「記憶がないのに謝らされて腑に落ちない。」と反省している様子はありませんでした。
生活はキツキツなのに酒もたばこも辞めない(辞める気がない)ので、足りない分は義母に請求していました。
夫は貴重な青春時代を両親に潰されたと思っているので、両親に対して高慢です。
義母は申し訳なさがあるようで無心の援助を惜しみませんでしたが、毎月毎月請求されるので一度「子供もいるのにいい加減自立しろ!」と、突然援助を打ち切った事がありました。
困った夫は私にこう言いました。
「お前の実家の親に頼んで生活費を出させろ。」耳を疑いました。
自分で稼ぐ気がないどころか、嫁の実家からお金をせびろうとするのかと…!
実家には弟夫婦もいます。
私は弟2人の3兄弟ですが、家を出た私と下の弟は遺産の相続を放棄して出てきています。
実家の資産に手を出すつもりは微塵もありません。
時期が帰省に被り、次の職に就いて(この時無職期間3か月でした。)二度とうちの実家にお金をせびらない事を約束するまで帰らない事にしました。
私は20日以上実家にいました。
大激怒したうちの両親は夫に誠意を見せるつもりなら、直に迎えに来るよう言いました。
私と子供を迎えに来た夫はうちの両親に謝罪し、心を入れ替え真面目に働く事を約束しました。
実家から戻ってすぐ夫は、私にこう言いました。
「わざわざ迎えに行かせるとか、マジでふざけやがって!交通費も無駄だし忙しいのにお前の我儘で余計な事させるな!」…ああ、この人は反省しないし悪い事をしたとは微塵も思っていない。
絶望を感じました。
義母にこれまでの事を交えて相談した結果、結局夫への無尽蔵の援助が復活することになりました。
うちの実家に迷惑をかけた事で義母だけがとてもとても申し訳なさそうで、見ているこっちが切なくなりました。
息子が2歳の頃からこの頃まで息子の成長に疑問を感じ、療育センターに通っていました。
息子は「自閉症」の診断を受けていました。
今でこそ一般の高校も受かる程度にが学力が伸びて障害者枠ではなくなりましたが、当時は2歳になっても言葉をほとんど喋れないし歩けない子供でした。
自閉症にも色々症状があり、多動の子もいれば大人しい子もいます。
息子は幼稚園時代はとても大人しく、何でも言う事を聞く子だったので育てやすかったです。
忘れ物が酷く、人の話をずっと聞いていられなかったり、簡単な事でも2つ以上の事を同時にできなかったりという程度の支障はありましたが、先生やお友達の協力により微笑ましく見守っていくような感じで幼稚園時代を過ごせました。
小学校に上がる直前まで、普通の小学校か特別支援学校か…普通の小学校だとして普通級か、特別教室か、補助員は付けるのか付けないのか…等、療育センターと特別支援教育センターを行き来し、何度も悩んで決めました。
それまで住んでいたマンションより、家賃が安く部屋数の多いアパートに引っ越しました。
夫は自分の部屋を持てた為ゲームなどでほとんど出てこなくなり、家庭内別居のような生活が始まりました。
「自分で自分の食べたいもの食べる方がいいから食費を分けよう。」と提案してきたので呑みました。
夫はジャンクフードや居酒屋メニューのような油物やこってりしたものが好きです。
私の作る麺類(うどんを除く)やオムライス・ミートソースと言ったトマト味の料理が嫌いで夕食に出すなと言われ、もめたこともあったので都合が良かったです。
私はカレー等、多く作って分けられる料理以外で夫に食事を作るのをやめ、夫は買って帰った総菜や宅配ピザやウーバーイーツで頼んだものばかり食べていました。
子供は普通の小学校の普通級に入学しました。
この年に私は仕事に就きました。
学校では息子の挙動を笑ったりつついて嫌がらせをする子が出てきました。
最初の頃は夫も協力してくれていて学校に相談したりという事もありました。
しかし6年間過ごす中で、夫はやはり育児に無関心で学校行事も極力出たくない、子供と関りを持ちたくない…という部分が表面化してきました。
学校行事、授業参観、PTA、子供会行事、町内会行事…全て私が仕事と両立させながら一人で参加しました。(じゃんけんに負けて子供が2年生の時には子供会会長も請け負いました。)
週に1日も休みがない日もありました。
夫は入学式以外で学校に赴いた事がありませんでした。
子供に悪影響があるからと無理やり運動会に1回だけ連れて行った事がありましたが、あからさまに嫌々ながらだったので、連れて行った事を後悔しました。
夫は人混みが嫌いです。
町内会の夏祭りに行ってモスバーガーに入ったら、カウンターで注文する手前まで行ったのに「高い、出るぞ。」と勝手に帰ってしまった事があります。
息子は席にまでついて楽しみにしてたのに…慌てて手を引いて後を追って出ました。
その時の事を思い出し、二度と夫を誘うのは辞めようと誓いました。
息子が高学年になると悪い言葉を覚えて使うようになったり、自分の都合の悪い事に嘘をつくようになりました。
それを怒ると
「なんで?パパはしてるのに。」と反抗するようになりました。
中学に上がるとそれはさらに悪化し、思春期の反抗期と合わさって最悪な状態になりました。
息子は自閉症の影響で、コミュニケーションが苦手です。
同級生と度々トラブルを起こしその度学校に呼ばれました。
息子は言い回しが分からないし、空気が読めません。
人の立場に立って考えることができません。
お世辞も本気に受け取ります。
悪気なく人の話に平気で割って入ってきます。
お友達が”口に出さないけど我慢している”事に気づけません。
「話に入ってきてほしくない。」と言われると「ひょっとして仲間外れにされてる?」と感じ、「こうじゃなくてこうした方がいいよ」と注意されると「今まで平気な顔してたのに何で?喧嘩売られてる?」となりトラブルになります。
結果的に息子が切欠で起きたトラブルが多かったのですが、息子は中々自分の非に気づけません。
自分が発端だった事を取り繕うような嘘をついてはそれが後で発覚し、夫が激怒するというような毎日でした。
何度言っても直らないので夫は匙を投げました。
息子をかばう事も関わる事も止めました。
食事も一緒に取らなくなりました。
息子との間に大きな溝が生まれた瞬間でした。
関わらない代わりに約束事が増えました。
一番大きいものはゲーム中五月蠅くされたくない夫からの
「居間でしゃべる時に引き戸を少しでも開けていたら罰金」でした。
五月蠅くしたらその次の月には生活費を1円も入れては貰えなくなりました。
夫にもできてない事はたくさんあって、それをわざわざ本人には言わないけど「べつにまぁいいか」とこっちがしてきたことはたくさんあります。
それを言ったら「言い訳せずにすぐに謝ればここまでしなかった。」と返されたので、夫が作った約束事と同じ数だけこっちも約束事を作りました。
居間の壁は貼り紙だらけの異常な見た目になりました。
そこまで気にしなくても良かった小さなこともたくさんありましたが、夫に「俺ばかり我慢させられている。」と言われたのが不愉快で無理やり捻り出しました。
普通の家庭だったらお互い注意し合って終わる程度の注意が、我が家では罰則付きの事案になりました。
言い聞かせる育児はとても大変です。
それは今も一緒で、「こっちが嫌だと言ってるんだから止めて。」とちゃんと理由まで添えて説明しても「嫌だ。」の一言で返されることも多く、何で人の気持ちが分からないんだろう…と苦しくなります。
何度かの夫への相談の末、遂に「お前がどんなに言って聞かせても駄目な時は、俺が自分の育児でいう事を聞かせるから言いに来い。」と助け船を出してくれました。
夫婦2人であれば乗り越えられると喜びました。
…しかし、その方法が暴力でした。
「暴力は最終手段」と口では言っていましたが、口で言えばいう程息子は反抗するので逆効果でした。
殴り、蹴り、食器が飛びました。
「いう事を聞かないなら鉄拳制裁も辞さない」がモットーのようでした。
目に余る行為に無視できず、暴力がある度私は子供をかばいました。
「お前は結局子供の味方をするのか。お前はどうしたいんだ!俺に育児を任せたんじゃないのか?一度任せたなら黙って引っ込んでろよ!俺が言う事を聞かせるから。」息子は関りがあまりなくてもずっと父親を見てきました。
友達から聞かされる家族の話等から理想の父親像を持っていて、いつも比べていたようです。
子供に関わらない父親、仕事に就いては辞めてを繰り返す父親、働かないで親にお金をせびる父親、人には言うのに自分ではやらない父親…息子の中で夫は「友達に紹介できない恥ずかしい父親」に成り下がっていました。
この頃にはそういう目線で見ていたので息子は自分の非を認めても、父親の言う事は聞かなくなっていました。
親子喧嘩がある度、私が間に入っていましたが宥めるというよりは板挟みになっていました。
息子が中3の受験前に夫は無職になりました。
仕事を辞めてから探す様子もなくなりました。
生活費はスロットで稼いできたようでしたが、そんな運任せが長く続くわけもなくすぐにお金はなくなりました。
義母にせびって出してもらったお金で今度はFXにつぎ込みました。
「次に使い切ったら強制的に調理師専門学校へ行ってもらう」と義母に約束させられていました。
その代わりに、学生である内の生活費は義母が全額出すとも約束していました。
そこには調理師免許を持つことで就ける職の可能性が広がるいう義母の思いもありましたが、義母は自分のお店(食堂?カフェ?)を出したがっていたので、夫は義母に一生こき使われると思っていました。
それから逃れる為に夫はFXに全額注ぎこみましたが、全額消えてなくなりました。
夫は息子が3年になった今年の4月から調理師学校に通い始めました。
ここからは夫から直接聞いた話です。
今年4月の春休みの事です。
夫は嫌がっていたけど義母と夫祖母の強い要望で京都旅行に一緒に行った際、息子は言ってはならない一言を言ってしまいました。
「汚い、死ねばいいのに。」ベッドにごろんと寝転がった父親に向けて放った一言でした。(夫は体形がトドみたいな感じです。)
ゲームの影響等で事あるごとに「死ねばいいのに」という言葉を使っていたので、恐らく本人は軽い気持ちで言ったのだと思います。
後で息子に確認しましたが、やっぱり覚えていませんでした。
言った事は本当にいけない事でした。
その場で気づいていたら注意して、すぐに謝らせなければいけない事でした。
この話を聞いた後息子に話して、謝るように言っています。(本人は最後に父親に会う時に謝ると言っています。)
ですがその時私はその場にいたようなのですが、スマホをいじっていて気づいていなかったのです。
それを見た夫は「気づいていてわざと無視している」と勝手に思いこんでしまいました。
「結局こういうやつだ。」と思いこんでしまいました。
夫はこの一言で全てが壊れていくのを感じたと言っていました。
誤解は後で解けましたが、この事が切欠になり家族不信になったとも言っていました。
それでも家庭内別居のような生活を続けていれば…極力子供と関わらないようにしていれば…と、上辺だけの家族ごっこは続けていました。
事件が起きたのは7月26日、私の誕生日の夜でした。
私がツイッターに誕生日報告を上げた直後、酒に酔った夫は私を自分の部屋に連れ込もうと私の腕を引っ張りました。
(※イラストの為に8月1日までは忙しいから関われないと事前に夫に伝えていました。)
拒否した私のお腹をグーで殴り、腕をひねり上げ、髪を掴んで引きずりました。
夫はこの時の事には少し記憶があると言っていて、加減したと言っていましたが実際はとてつもなく痛かったです。
あまりの痛さに悲鳴を上げたら自室に籠っていた息子が「五月蠅い」と言って出てきました。
夫は息子に「てめーが引っ込んでろ。」と言い、また暴力に発展しそうだったので間に入りました。
「息子に謝って。今回五月蠅くしたのはあなたが原因でしょ?普段から約束事までして五月蠅くするなと言っているのに、自分がするのは無視?」
「お前らだって普段から守る気ねーじゃん。知るか馬鹿。」
聞いていた息子は溜息をつきました。
それを見た夫がゆっくりと息子の方へ歩いて行ったので、慌てて居間に戻り息子の隣に並ぶ形で夫と対峙しました。
瞬間、夫は居間のガラス戸を蹴破りました。
実は夫が怒りに任せてガラス戸を蹴破るのはこれで2度目でした。
過去に1度あったのでそうなったらまずい、という気持ちからガラス戸のすぐ前に立つ形になってしまっていたのです。
自分が目の前にいたらきっと蹴破らない…留まってくれるはず…そう思っていました。
結果、私の左足は飛んできたガラス片で血まみれになりました。
5か所ほどくっきり赤い筋が入り、脛の部分の1箇所は押さえても血が止まらなかったです。
夫は無言で自室に戻り、息子は「もう離婚して!」と大声で叫びました。
足はがくがくと震えて立てなくなり、その場にしゃがみ込んで義母に電話して助けを呼びました。
義母には「すぐに救急車呼んで!」と言われました。
この血が止まらない部分にガラス片が入り込んでいるかもしれないと思ったら、怖くて仕方がなかったです。
手が震えてうまくタップができない状態を見た息子が救急車を呼びました。
救急車が到着する頃には何とか立って歩ける状態にはなったのですが、床(マット)には流れ落ちた血の痕がくっきりと残るほどでした。
状況から警察も到着し、事情聴取も行われました。
自分と子供自らの証言により、夫のDVと児童虐待が認められました。
報告は児童相談所にも行き後で息子と一緒に行く事になりましたが、そこで話した内容はここで書いた事と全く一緒です。
警察の方にこう言われました。
「DVはこうやって爆発して表面化するまで分からない事が多いんだよね。特に奥さんが被害者の場合、生活の事とか世間体とか考えて自分さえ我慢すればいいって抱え込んじゃうことが多いから気づかれないんだよね。うちでDV認定されたトコみんな一緒、このパターン。」
相談員の方にも同じ事を言われました。
暴力を受け続けた子供は痛みから逃れる為に嘘をつくようになり、恐怖から脳が萎縮していくという事を知りました。
「頑張りましたね。」と言われた瞬間、涙が止まらなかったです。
調べた結果ガラス片の心配がなかったので、救急車はその場で戻っていきました。
警察は夫に事情聴取と説教をしに行っていました。
とても生活できる部屋ではなくなってしまったので、荷物をまとめて車で来てくれた叔母さんの家に退避し、その後義母の用意してくれたホテルで3日間を過ごす事になりました。
「デジモンアドベンチャーtri.」のイラストはそのホテルで完成させたものです。

度々フラッシュバックして、過呼吸になるほど胸が苦しくなったり涙が止まらなくなったり…そうした中で完成させたイラストです。
メモリアルデーの為にここまでの作品を作ることはもうないと思うので、こんな状況でなかったら楽しく描けていたのだと思うと本当に悔しかったです。
そしてこの事を隠しながら何事もなかったかのようにpixivやツイッターをやったりというのも辛かったです。
本当はたくさんの人にこの事を知って欲しい!助けてほしい!思っていることとやっている事が違っていて爆発しそうでしたが、全ての手続きが終わるまでこの日の事は伏せておくことにしました。
プレゼントがガラス蹴破り&左足血まみれですからね…今年の7月26日は、人生史上最悪の誕生日となりました。
3日間のホテル滞在から戻ったら、ガラスは片付いていました。
叔母さんに言われて夫が片づけたようです。
戻ってきて最初の一言が「離婚届持ってきた?」でした。
「あの警察クソウザかったわ。いちいち説教しやがって。」とも言っていました。
やっぱり反省はしていませんでした。
「じゃああなたは今後も育児に暴力は正しいしつけだと思っているわけね。」との問いにはっきり「うん。」と答えたので、私の離婚の意思も固まりました。
その後昨日の届け出を出すまで淡々とした生活が続く事になります。
夫は思っていた以上に落ち着いていたので、慰謝料や養育費の話はスムーズに進みました。
しかし、夫のこの一言には開いた口がふさがりませんでした。
「お前はもう家族じゃなくなるんだから、うちの両親や叔母を頼るな。金の援助があれば断れ。自立しろ。自分で稼いで生活しろ!」全部あなたの事なんですけど…。
そりゃあなたは嫁いだ身じゃないから何でも言えるよね、離婚しても両親の戸籍に戻るだけでお金の心配もいらないからね。
逆にうちの実家に婿入りする身で私に同じ事を言われたら、誰も頼らず自立してくれてたの!?
子供が父親を尊敬できないのは父親に原因があるということに頑なに耳を貸さなかった夫。
辞めないと約束した仕事はすぐ辞め、隠しごとはするなと言いながら裏でサラ金を借り、人に迷惑をかけるなといいながら家族に迷惑をかけまくり、「五月蠅くするな!」と罰則付きの決まり事まで作っておいて自分は部屋でリモートでゲームしながら叫びまくり高笑い。(←「俺は自分の喋り声に関しての約束は何もしてないし、部屋の戸は確実に閉めて喋ってるんだから文句を言われる筋合いはない。」と反論。)
言っている事とやっている事が違い過ぎて説得力なんてないのです。
夫とは8月中に別居しました。
新しい住まいの保証人には義母がなり、必要な電化製品も全部買い揃えてもらったようです。
「引っ越し用のダンボール用意しようか?」…電話の向こうから夫祖母の甘やかし声が聞こえて脱力しました。
夫祖母は夫に激甘々です。
無職の夫でも一家の主は褒めよ称えよ、そうすれば家庭は安泰とか言っていた昭和初期な人です。
離婚届を出そうとした一昨日も「今日晩ご飯食べていく?」と誘っていました。
(一昨日は本籍地が別の市だった関係で提出できなかったので、昨日の提出になったわけですが。)
つまり、自分が好き勝手に何も考えず家を出てもこうして身内がちやほやして全部用意してくれることを夫は知っているので、何でも我儘を言えるのです。
「お前が味方だと思っている叔母さんも婆さんも、中立なようでいて全員俺の味方だからな。お袋以外にお前に味方するやつなんていないんだよ。」そりゃそうでしょうよ、可愛い可愛い孫&甥っ子。
私を悪者という前提であなたが自分有利に話をすれば、そりゃ余所から嫁いできた私なんて簡単に敵になっちゃうでしょうよ。
それでも上辺だけでもそういう顔をしないで優しく接してくれるだけでいいですよ、私は。
あからさまにいきなり掌を返されたり邪険に扱われたりする方が苦しいですから。
義父は分かりませんが、夫…つまり自分の息子を「失敗作だった」と評した義母だけは真に信頼できる方だと思っています。
こちらへの支援も息子の学費の事も「好きでやっている事だから関係ない。」と言ってくれましたし。
ただ離婚後はこれがずっと続くわけではないので、先の事も考えないといけない訳ですが。。
思い返してみると、正直
「生活に困らないだけのお金はあげるから、我儘な息子と家族ごっこを演じてくれ。」と言われて仕方なく付き合ってあげていただけの18年…と言った方がしっくりくる結婚生活でした。
夫が我慢してきた事も分からなくはないんだよ、でも辛かったのは自分だけじゃないんだよ。
同じようにこっちだって我慢してきたし、それを理由に暴力を振るったり育児放棄するのは絶対に間違っている。
叔母さんにはよくして頂きましたがこれだけは言わせて下さい。
救急車を呼んだことに否定的な発言をされたことは残念でした。(夫から聞いた話ですが。)
「今コロナで大変なのに、こんな事くらいで救急車呼ぶなんて…救急隊員の人に迷惑かけて…。」こんな事…!?ガラスを蹴破り人を怪我させたことが"こんな事"ですか!?ガラスが体内に入ってたらこんな事では済まなかったんですけど!!夫は救急車を呼んだ事で警察が来てしまい、結果自分がDV加害者に認定されたことに腹を立てていました。
本当にDV加害者って周りには八方美人で、気づかれないようにやるのが美徳だと思ってる感があるよね。
だからバレた途端に発狂する。
「俺を犯罪者にしやがって!」馬鹿なの?逆切れしたってDVも児童虐待も最初から犯罪なんだって!
あと救急車呼んだらもれなくパトカーが付いてきただけで、最初から意図的に警察を呼んだわけじゃないからね!
ともあれこれで記録が残せたので、やっぱり警察が来てくれて良かったと思いました♪
以上が昨日までに起こった事のまとめです。
書ききれない事もあるので全てではないですけど、備忘録として残したくて書きました。
結婚式に来てくれた身近な方も見てるのは知ってるんですけど、こんな結果になって本当にごめんなさい。><
夫がこんなに甘やかされてなかったら、ちやほやではなくちゃんと突き放して叱咤できる一家だったらまた違ったのかもしれません。
離婚という重大な事態になっても誰一人止めに入らない一家の状況にもビックリでしたから!
とにかく夫が幼稚過ぎました。
今後も親のお金を当てにして生きていくんだろうな~。
今日からシングルマザー…頑張ります☆
まずは子供の戸籍をこっちに移さないと…離婚の手続きもですが(戸籍謄本とか姓を変えない届けとか)、離婚後の手続きも面倒なんだって知りました。(ー ー;)